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[阪急電鉄 六甲駅列車衝突事故]記録映像(NHKニュース)

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阪急神戸本線六甲駅構内で、副本線から本線に出てきた上り回送列車(山陽電鉄3050系4両編成)に、同駅本線上を通過していた上り特急列車(阪急電鉄2000系8両編成)が衝突。特急列車の前部3両と回送列車の4両が脱線し、負傷者72名を出した。事故による死者は出なかった。回送列車の運転士が故意に自動列車停止装置 (ATS) のスイッチを切り、車掌の合図と信号を無視して発車したことが原因。
ゴールデンウィーク中だったため特急列車は満員状態だったが、運転士は駅直前で不正出発した回送列車を現認して非常制動を執った結果、衝突時には時速50km程度まで減速しており、先頭車は横転を免れた。また事故発生時、神戸方面へ向かう対向列車(普通列車)が同駅に向かって走行していたが、衝突した特急列車の運転士(阪急電鉄の運転士)が、負傷しながらも異常を知らせるために手旗を手に線路上を梅田(大阪)方へ走った事により、二次的事故を免れたとされる当該車両のうち、損傷のひどかった阪急2000系2050号車が廃車となった。
事故を起こした山陽電鉄の運転士は業務上過失傷害で現行犯逮捕されたほか、同日付遡及で懲戒解雇され、動力車操縦者免許も剥奪された。同乗していた同社の車掌は直接の責任はないにも関わらず、事故を未然に防げなかったという自責の念に駆られ、事故から11日後の5月16日夜に神戸市須磨区内を走行中の自社普通列車に飛び込み自殺した。大阪陸運局(現在の近畿運輸局)が特別保安監査を行ったところ、当時山陽電鉄では、定時よりも最大で数分早く駅を出発する行為が横行していたことが発覚。安全教育の不徹底が指摘され、同年5月31日に山陽電鉄に対して業務改善命令が出された。
なお、山陽電鉄の列車は、1968年の相互乗り入れ開始から一貫して、六甲駅で乗客を降車させた後に回送列車としてすぐ発車し、御影駅西方の引き上げ線(待避線としても使用)で折り返すというダイヤが設定されていたが、当事故より1か月あまり前となる1984年3月25日のダイヤ改正から、休日ダイヤに限って六甲駅で特急を待避してから回送列車を発車させるダイヤとなっていた。事故を起こした山陽電鉄の運転士は、新休日ダイヤでは初めての乗務で、運行管理者からダイヤ表を渡され運転席に掲げていながらもまったく見ず、特急待避の必要を知らなかったと供述している。
[Wikipediaより]

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