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阪急6000系電車(はんきゅう6000けいでんしゃ)は、阪急電鉄が1976年に導入した通勤形電車の量産型である。

2200系の車体と5100系の機器類を組み合わせた神宝線用車両で、1976年(昭和51年)から1980年(昭和55年)にかけて126両、1985年(昭和60年)に4両の計130両が製造された。

神宝線用として、5100系の電装品に2200系の車体を組み合わせている。製造時の編成は宝塚線用は電動車 (M) 4両と付随車 (T) 4両の4M4T編成、神戸線用はホーム有効長が6両分しかない山陽電気鉄道への直通運転も考慮し、6両の基本編成と2両の付属編成による6M2T編成が組成された。

2019年7月時点では、2200系からの編入車を含めて119両が在籍し、8両編成は全て宝塚線配置である。一部は今津南線・甲陽線用としてワンマン対応改造が施工され、3両編成となっている。

その他、4両編成で伊丹線や箕面線でも運用している。

6000系(アルミ車)の構体重量は4.285t。車体は2200系と同様で、5100系と比べて窓の天地寸法が50mm拡大された。乗務員室直後の客室には窓を配さず、Hのイニシャルマークが装着されたが、1992年には新社章の導入に伴い、新社章に差し換えられている。

6000F8両編成では、阪急初のアルミ車体が採用された。構体はアルミニウム・亜鉛・マグネシウムの三元合金による大型押出形材によって構成され、3.5tの軽量化となった。ほかの6000系は普通鋼車体を採用したが、7300系の7302F以降で本格的にアルミ車体が採用された。

まず最初に付随車2両が落成して6001Fに組み込まれ、その後に残りの6両が6000Fとして落成し、先述の2両もこれに組み込まれ、アルミ車体の8両編成となった。アルミ車として、車内の製造銘板はブルー系のものが使われている。

正面貫通扉に付けられているヘッドマーク受けはデビュー当時ついておらず、しばらくはヘッドマークをつける際はアダプターを装備したが、後に標識受けを常設する形に改められている。

主要機器

主電動機出力は140kWで、5100系と同一である。起動加速度は2.8km/h/sである(加速度2.43km/h/Sとする文献もある)。主電動機は、直流直巻補償巻線補極他自差通風式SE-607形 140kW-375V-410A。

2200系と同様にブレーキシステムは電気指令式で、運転台にワンハンドルマスコンを採用する。7000系・8000系・8200系・9000系と連結運転が可能である。ブレーキ装置は、発電ブレーキが併用されており、全電気指令式電磁直通空気ブレーキ HRD-1-D 方式である。

神戸線用は分割併合で中間に入る先頭車に電気連結器を装備している。

阪神・淡路大震災

1995年1月17日、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生し、6025Fが2200系2250Fとの併結で今津北線で運用中に宝塚大劇場の大カーブ(宝塚 - 宝塚南口間)で被災、脱線した。列車は武庫川橋梁に差し掛かる寸前であり、列車があと数秒でも早く走行していた場合、河川へ転落等の大惨事の恐れもあったが、間一髪で橋梁上での脱線は免れた。

脱線時に床下機器を損傷し自力走行が不可となったため、ジャッキアップによる復旧後、8000系に牽引されて平井車庫へ回送された。

ウィキペディアより
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